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2010年 10月 31日

皇太子の結婚

http://www.yuko2ch.net/mako/makok/src/1244121916231.jpg

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by kissyouten2006 | 2010-10-31 00:37 | 日 記
2010年 10月 29日

日銀は誰のものか

http://benjaminfulford.typepad.com/benjaminfulford/2008/04/post-20.html#comments

日本銀行は何でしょうか? ただの役所もしくは悪の組織の本拠地?

日本銀行って他の欧米流の中央銀行と同様に特別な存在だ。建前の世界では日本銀行法に基づいて作られた半官半民な特殊組織だ。お金を自分達で作って、その量を経済規模に合わせて市場に出す。あまりたくさんのお金を作るとインフレが起きるし、あまり絞ると経済が冷え込むという。この建前の話は誰でもわかる。

しかし陰謀論の世界では、日本銀行や他の中央銀行は世界の秘密政府の人間を家畜のように扱うための道具だという。

僕は20年以上金融ジャーナリストの経験から総合すると真実はこの二つの定説の間にあるとおもう。

日本銀行の広報部に問い合わせると株の55%は財務省(日本国家)のもので39%は個人のものだという。残りの部分は金融機関や公共団体だという。個人投資家の名前を公表してない。「制度上個人が政策に影響を与えることがありえない」という。

以前、日本銀行の元理事二人に日本の皇室が株を持っていると言われたことがあります。当然その個人の名前にロスチャイルドやロクフェラーがはいっている事も推測できる。デヴィドロクフェラー本人が僕に日本の天皇系とロクフェラー系が以前から仲良しだと言った。

私も1980年代ごろ日本銀行担当記者も経験をしている。基本的に日本銀行の役員が財務省同様に東大法学部など卒業生が国家公務員の試験を経得て入る。日本銀行総裁は代わりばんこで財務省の天下りか日本銀行の生え抜きにきまっている。そうして金融政策の大枠の決め方がいろいろな経済データに基づいて景気やインフレのバランスをみながらかじをとる。

しかしその建前の裏はまた別です。アメリカと同じように大枠は基本的に透明だ。インフレが起きないようにお金の全体量を管理する。問題は、作ったお金のばら撒き方だ。どうやってだれにそれを配るか?

それが陰謀論の基本だ。それを理解するために明治時代にさかのぼる必要がある。ペリー艦隊が来てからイギリスのロスチャイルド系が別の艦隊を送り込んで薩摩と長州を完敗させた。その後日本の天皇を暗殺しておおむらとらのすけという16歳のボウヤを天皇にした。 その後いろいろな専門家を派遣して日本銀行を通じて日本の発展のためのお金の投資法を決めた。その後見事に日本を近代化させた。ロスチャイルド系はすでにヨーロッパの隠れの王室だった。彼らがヨーロッパ各地にいいところを持ち込んだ。海軍はイギリスから学んだ。陸軍がドイツから学んだ。各産業も同じように欧米各地から一番いいやり方を入れた。嬉嬉として日本が奇跡的に発展をして、のち日露戦争で勝利をした。

今度第二次世界大戦の時軍事政権がアジアを支配するために日本銀行を乗っ取った。軍の司令部の命令に従って大蔵省が日本銀行にお金の配り方を決めさせた。今でも神田などの古本屋さんで買える戦時中の国債を買うことができる。国債の上に戦車や戦艦の絵が描いている。日本のお金はやっぱり全部軍にそそがれた。

戦後は大蔵省(現在財務省)が通産省の支持の元で日本銀行が作ったお金のばら撒き方を決めた。いろいろな銀行が専門分野を持っていた。たとえば日本興行銀行が大手製造業にお金を貸すのは専門だった。日本は資本主義の顔をした社会主義経済だった。役所が決めた5年計画の中でお金が各業種に銀行を通じてばら撒かれた。これが日本戦後の見事な経済発展の秘密だった。

影ではロクフェラー系がロスチャイルド系に代わって日本の裏のドンだった。かれらはが、外交さえ米国追従型なら、基本的に介入しなかった。

次の大き分岐点は1980年代だった。その時日本が脅威だった。大量の貿易黒字で日本がアメリカを乗っ取るのではないかということがおそれられた。貿易黒字を下げるためにあの手この手を使ったけれどもうまくいかなかった。日本人の勤勉さと清さにアメリカが負けた。

そこでプラザ合意ができた。日本の売国奴の宮沢喜一をはじめに当時の政府の幹部たちが急激な円高を容認した。日本の強みの製造業がやむをえなくアジアに進出した。同時に超低金利でバブルが発生した。

じつはバブルというのは昔からのロスチャイルド系やロクフェラー系の常套手段だった。相手を大量のお金でよっぱらわせて踊らして、そうしてバブルをはじけるときに潰す。日本が見事にこの罠にはまった。勿論バブルがはじけた時に日本銀行が2-3年でその問題を整理する能力があったし、日本国家がそれに耐える体力があった。しかし日本の政界が自分たちの汚いやくざぐるみの裏騒ぎを隠すために、その問題の整理をずっと後回しにした。おそらく裏でロクフェラー系の影響もあっただろう。

結果的に水面下で問題がどんどん大きくなった。そうして1997年のアジア危機が始まった。そのきかけが北海道拓殖銀行の破産だった。ロスチャイルド系などが作ったBISのルールに従うために、すべての日本の銀行が急にアジアからお金を引き上げるようになった。ロスチャイルド系の息のかかったジオルジソロスなどがすぐ乗っ取りに来てアジア各国の金融業が乗っ取られた。この罠を見抜いたのはマラジア(マレーシア?)のみだった。

日本の金融業の砦でも落城が始まった。北海道拓殖の次は日本長期信用銀行。ロクフェラー系などが10億円で買ったときに、デヴィドロクフェラー本人が勝利を味わうために来日した。その後税金を払わずに1兆円で株を売りながら影で支配権を持ったまま。

日本の金融界の乗っ取りの本番は小泉竹中の売国奴政権の時だった。彼らが歴史に残る裏切り者として見られるのは間違いない。小泉は日本初のやくざ総理でブッシュ一族とお父さんの代から仲良くしている。竹中平蔵はデヴィドロクフェラーの右腕のヘンリキシンジャーの弟子で日本経済を売り渡すために育てられたとしか思えないような行動をとった。

彼らはまず年金のルールを変えて日本企業の相互合いを解消させた。そうして次に竹中が「銀行が大きいからつぶさ(?)せれないことはない発言」をした」。その後みんなが日本の民間銀行が全て国有化にされて株が紙クズになると思った。銀行株がもちろん下落した。その時にやっぱりロクフェラー、ロスチャイルドの息のかかった外資がどんどん買った。そうして案の手定竹中が株資本を守りながらどんどん日本人の血税を銀行につぎ込んだ。

その次に小泉が米国のお金や広報会社を使って、911詐欺選挙をやった。いかに民営化賛成か反対=改革賛成か反対に見せかけて日本人のテレビしか見ない一般市民を見事にだました。

現在日本の民間金融の株主を見ると必ず支配権のある3割以上が外資のものだ。しかもその外資がほとんどロクフェラー系、ロスチャイルド系の息のかかったものばかりだ。日本乗っ取りが一段深刻になった。

次の段階はやっぱり日本の銀行からお金をゼロ金利で借りて、日本人のお金と使って日本の強みの製造業を乗っ取ることをたくらんでいる。

しかし、日本が絶滅な状況になりそうな時にようやく日本の政治家、右翼、左翼などのインテリ層がようやく危機感を抱いた。今経済産業省などが日本経済防衛の最前線に立っている。悪質なお金をぶん取りたいだけを目的としたはげ鷹が追い払われている。韓国の政府もようやく反撃を始めた。

そうして、日本政府やアジアの国々が英米の秘密結社の砦:ドルとパウンドを攻撃し始めた。

しかも、イギリスやアメリカ国民が911テロが政府の自作自演だと気づいて、反乱を始めた。欧米の国民が300年ぶりにお金と情報の闇の支配から間もなく解放されることになる。

中国の政府も賢くて悪質な外資金融の古くから使われているバブルの罠にはまるつもりはない。

結論として、日本銀行そのもの中立的な機関であっても、その裏にある民間金融をよく監視しないと人類を家畜にしたい大変恐ろしい勢力がチャンスを待って動き出す。今回アジアの力のおかげでうまくいけば人類が永遠にこの恐怖から解放されることになる。
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by kissyouten2006 | 2010-10-29 12:34 | 日 記
2010年 10月 27日

ロスチャイルド嬢 来日

http://translate.google.co.jp/translate?hl=ja&langpair=en%7Cja&u=http://www.charlottederothschild.com/

http://blog.goo.ne.jp/itagaki-eiken/e/c6db6e982a53237caa92cc61d8948946
ロンドン・ロスチャイルドの令嬢シャーロット・ドゥ・ロスチャイルド音楽特使が、東京・六本木ヒルズでミニコンサート
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by kissyouten2006 | 2010-10-27 13:07 | 日 記
2010年 10月 24日

皇室と客家

http://www.unkar.org/read/yutori7.2ch.net/news4plus/1253159677/
705 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2009/09/17(木) 14:00:58 ID:RQNW7eyq
ぉまえら、昭和天皇の実母は、客家人の朱貞明という中国人だこと位
知ってるの?

http://benjaminfulford.typepad.com/benjaminfulford/2009/07/%E3%83%96%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%81%AE%E3%83%8A%E3%83%81%E5%8B%A2%E5%8A%9B%E3%81%A8%E5%8D%94%E5%8A%9B%E3%82%92%E3%81%97%E3%81%A6%E3%81%84%E3%82%8B%E6%98%8E%E6%B4%BE%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6.html

ブッシュのナチ勢力と協力をしている明派について
ブッシュ一派と協力をしている明派についての情報が入った。やはり大正天皇は明王朝の王女と秘密の結婚をしたらしい。その目的は「アジアの天皇」を作ることだった。この派閥は「梅花」と呼ばれている。金井一族がこの派閥を支えている。そしてこの派閥が先日イタリアで逮捕された$1345億を持っていた「日本人」に外交官パスポートを与えた。

この人達の正体が暴かれたので、簡単に対処が出来るようになった。三極委員会の日本人メンバーは早く諦めた方が得策だ。彼らの名簿と住所録を持っているが、彼らは私達について殆んど情報がない。中国は恐怖の皇帝支配ではなく、メリトクラシー(成果、能力、実力主義)を設立しようとしている。日本の植民地支配もこれ以上続かない。
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by kissyouten2006 | 2010-10-24 19:37 | 日 記
2010年 10月 24日

宮内庁予算の推移

http://www.kunaicho.go.jp/kunaicho/kunaicho/pdf/yosansuii-h22.pdf
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by kissyouten2006 | 2010-10-24 00:37 | 日 記
2010年 10月 16日

ヒトラー逃亡説

http://inri.client.jp/hexagon/floorA6F_hc/a6fhc350.html
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by kissyouten2006 | 2010-10-16 12:53 | 日 記
2010年 10月 15日

小和田家の野望

http://www.yuko2ch.net/mako/makok/src/1226993615056.jpg

http://a-draw.com/contents/uploader2/src/up5357.txt


「VIEWS」1994年11月

小和田家の野望2  http://itabasi.exblog.jp/13455035/
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by kissyouten2006 | 2010-10-15 18:54 | 日 記
2010年 10月 15日

小和田家の野望2

VIEWS 1994年11月号
http://itabasi.exblog.jp/13425233/

何が、誰がロイヤルカップルを苦しめる
皇太子と雅子妃「苦悩の結婚16ヶ月」

高山文彦=文

天皇家の長男と、エリート外交官の長女。ふたりが結婚に至るまで、出会いから
五年もの月日が流れている。「全力でお守りします」皇太子の真摯なことばに
胸打たれた人は少なくない。だが、なぜ五年もの空白が生じたのだろうか。
何から、誰から、彼女を守るというのだろう。
そこから、ふたりの結婚を眺め直すと、これまでと異なる風景が見えてきた。
一年と三ヶ月がすぎて、ふたりの近くにいた人たちも重い口を開きはじめた。
「ふたりの結婚はふたりだけのものではなかった」と。
どういうことなのか。


皇太子妃の疲れた姿

 それは、ちょっと信じがたい光景だったという。
 ことし七月六月の夕方、ある皇室ウォッチャーは、横浜市内を東京方面へ
むけて走る第三京浜の保土ヶ谷インターチェンジ近くのドライブインで、友人と
くつろいでいた。
 そこには、どういうわけか警備警官の姿があった。なにごとかとたずねてみると、
葉山の御用邸で静養を終えた皇太子夫妻がもうすぐここを通る、という返事。
彼はできるかぎり道路ぎわまで行き、車がやって来るのを待った。
 まもなく皇太子夫妻を乗せた黒塗りの車が、疾風のごとく近づいてきた。
 進行方向右側の後部座席は皇太子の席、左側は皇太子妃の席と決まっている。
立っている位置からみると、車はすぐ手前の車線を右から左に走りぬけていく。
だから、左座席にすわっている雅子妃の姿がもっとも近くにみえ、皇太子の姿は
その向こうにみることができる。
 そのとき彼は、わが目を疑った。
「雅子妃は寝ておられたのです。おどろいたのは、その寝姿でした。左後頭部を
車の窓ガラスにもたせかけ、そのためにからだ全体は大きく斜めになって、
崩れるように寝ておられた。皇太子は居住まいを正してすわっておられたので
すが……。おなじ車両には、運転手と侍従も乗っているわけですからね。疲労の
度は極限にまで達していたのでしょうか」
 七月四日から二泊三日で神奈川県葉山町の御用邸で静養した皇太子夫妻は
一歩も外にでなかった。人目を気にする必要もないので、充分休養になったはずだ
とおもわれていたのだが、帰りの車のなかの雅子妃の寝姿からは、疲労の堆積が
感じられた。
 それにしても周囲の眼を考えれば、皇太子から注意をうながすことはあっても
いいとおもわれるのだが、彼はじっと正面を見据えたまま黙っている。
 結婚十六ヶ月、まだ杳として世継ぎ誕生の知らせはきこえず、昏々と眠りつづける
雅子妃と、石のように動かない皇太子。


「遠慮しているような関係はよくない」

 皇太子夫妻の不仲説がながれるのは、こういう光景を不用意に目撃されるから
でもあるだろう。「雅子妃の態度は、皇太子にまったく関心をもっていない証拠だ」と
この皇室ウォッチャーは言う。皇太子の学友はこう心配する。
「なんどかお会いしましたが、皇太子妃は皮膚に炎症を起こしていました。私が
眼にしたのは首と足ですが、この炎症の痛みのためおやすみになれないことも
あるのでは……」
 実際に雅子妃を知る医師は「彼女は一種のカゴの鳥症候群」だと、身体的な原因
ではなく、こころの疲れを指摘する。
 ハーバード大卒、東大法学部中退(外交官試験合格)、オックスフォード大留学、
外務省北米二課勤務という帰国子女の元キャリア・ウーマンは、ご成婚後相当に
心労をつのらせていることはまちがいない。
「一生全力でお守りする」と昨年一月十九日の婚約会見でプロポーズの言葉を
披露した皇太子は、皇室関係者によれば、雅子妃にいっさい小言を言わない。
それが逆に皇族などから、
「だから、雅子妃は好き勝手にやっている」
 と批判をあびることになる。
「もっと打ちとけてくれてもいいのに、雅子妃はいつも表情が固い。優秀な人は、
ツンとすましている」 と露骨に嫌悪感を顔にあらわす皇族もいる。
 皇族関係者によるそんな雅子妃バッシングと、衆人環視のなかでの公務の連続に
くわえて、夜は侍従をまじえて皇太子から皇室のしきたりなどについて学習する日々。
皇太子の学友のひとりは、
「そんな雅子妃を気づかって、殿下はご自身の友人と旧交をあたためるより、
雅子妃のおこころを和ませるために、雅子妃の友人と会われる機会を多くつくって
おられるようです」
 と言う。
 けれども、別の皇太子の学友は、こう話す。
「皇太子夫妻の不仲説については、殿下をよく知る仲間うちでは、結婚直後から
ありました。じっさい宮内庁職員のなかからも、おたがい遠慮しているような関係は
よくない、といった声がきこえてきます。ことしの新年会での法曹界テニス倶楽部の
ときも、雅子さまはおみえにならず、殿下おひとりで参加されたんです。
 結婚前はぼくらとテニスをしたあとかならず、殿下のほうから『ビールでも』という
お誘いがありましたが、結婚後はおふたりそろってテニスに参加されても、そういった
席に顔をだすのは殿下おひとり。それも二十分足らずで、雅子さまは一度もお顔を
出されないんです」
 では、雅子妃サイドはどうなのか。オックスフォード留学時代の友人は、六月に
ひらかれたパーティでひさびさに夫妻に会ったとき、雅子妃の笑顔がひどく
やつれていることに内心おどろいた。
「濃紺のワンピース姿でしたが、外務省時代はどんなに疲れていても表情にだされ
なかった雅子さまが、はたから見ててもお疲れの様子がありありでびっくりしました。
 雅子妃は、とくに皇族の方々に不満をもっておられるようです。皇族の方々
は傲慢だという印象のようです。彼らが評価するのは、皇族であるかどうかしかない。
彼女のプライドがそういうことに我慢ならないのでしょう」
 こうして、あちこちから不仲説を裏付けるような話しばかりが飛び出してくる。
 年に数度、天皇に会っている人物によれば、天皇もまた皇太子夫妻の話になると
顔を曇らせるという。
「ご夫妻の仲があまりよろしくないという話を、陛下はすでに聞いておられたようです。
陛下はお子様のこともだいぶ気にしておられました。ある雑誌に雅子さまご懐妊の
記事がでていることを知った陛下はすぐさま問い合わせたんですが、重田信夫
侍従次長が誤報だと伝えると、陛下はそうだとおもいました、といたく落胆したご様子でした」

小和田家の野望3
http://itabasi.exblog.jp/13459542/
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by kissyouten2006 | 2010-10-15 03:10 | 日 記
2010年 10月 15日

小和田家の野望3

小和田家の野望2 http://itabasi.exblog.jp/13455035/

父小和田恒氏の野望

純愛ラブストーリーとはまったくちがった流れが

 この不仲説の背景には、もっと奥深く、巨大なものがよこたわっているよう
に感じられるのは、私だけだろうか。
 たしかに民間から天皇家に嫁ぐということは、美智子皇后の苦労をもちだす
までもなく、じつに多くの負担を強いられる。
 雅子妃も同様で、あの外務省に勤務していた時代の颯爽とした立ち姿と、意
志の強さをあらわしていた大きな両眼とふくよかな顔は、嘘のように失われて
しまった。そして、石のように動かない皇太子。
 ふたりのそんな姿は、単なる夫婦関係の問題というだけでなく、自分たちで
はとても抗しきれないある"力"の存在に気付き、それに必死に耐えているよう
にさえおもわれる。というのも婚約が決まる過程をもう一度洗いなおしていく
うちに、じつに「皇太子の片思い」というこれまでの純愛ラブストーリーとは
まったくちがった流れが、浮かびあがってきたからである。
 皇太子は雅子妃との結婚について、思い悩んでいた。結婚をのぞんでいたの
は、むしろ雅子妃の父、当時外務省事務次官だった小和田恒氏ではなかったか。

 一年前の一九九三年秋、全国民がお妃選びに注目しているまっただなかで、
天皇と小和田家のあいだを行き来し、メッセンジャーをつとめたある福祉団体
役員の証言によれば、彼が小和田氏に会ったとき、
「陛下が皇太子殿下のご結婚を気にしている」
 と伝えると、小和田氏は顔を曇らせ、うつむき加減になって、こう漏らした
という。
「殿下は帝王学に徹しすぎますよ。女は、男から言ってきてくれるのを待つし
かないんです。雅子が思い悩んでいるのを、みていられない」
 皇太子自身がはっきりとプロポーズをすれば、小和田雅子はそれを受け入れ
る用意がある、とこの人物は受け止めた。
 その一ヶ月まえに、彼は天皇に会っている。そのとき天皇は
「小和田雅子さんという方は、どういう方か。皇太子の気持ちは、どうも小和
田雅子さんらしい」
 と胸中をあかした。そして、
「外務省次官の娘さんであれば、こちらとしても結構な話だとおもうが」
 と話した。
 この人物は、この時、小和田雅子さんが本命であることを確信したという。
その上で小和田恒氏と会ったのだが、その直前、小和田氏本人が直接、天皇と
会い、ふたりきりで結婚について話し合う機会をもったと彼は語る。
「表向きは外務省次官が世界情勢の激変について、ご進講するということでし
た。しかし、中身はまったくちがう。皇太子殿下と雅子さんの結婚話が、二時
間以上も交わされたときいています」
 家長どうしの突っこんだ話し合いが行われていたというのである。
 そのころまでに二百人ともいわれるお妃候補が、浮かんでは消えた。お妃選
びのメンバーであったある人物は、天皇と小和田氏の話し合いがおこなわれる
一年近くもまえに、お妃選びが特定の流れに向かっていることに気づいていた
という。
「結論からいえば、はじめから雅子さんありき、だったのです。ただ、その時
点では、雅子さんのことには気づきませんでした。
 ひとつの決まった流れが存在しているということに気がついたのは、私とお
なじお妃選びのメンバーが突然、その任務からおりると言い出したときでした」

 引き留めるためにでかけていった彼は、逆に相手から、じつに意味深長なこ
とばでさとされた。
「お妃選びから、きみも手を引いたほうがいいよ。もう流れは決まっているん
だから」
 核心部に近ければ近いほど、匿名扱いにしなければならないことが、どうに
ももどかしい。そうでなくても、ただでさえ皇室取材は、匿名がどうしても多
くなる。


「一生全力でお守りする」発言の本当の意味

 それにしても、この特定の「流れ」とはどういったものだったのか。この人
物は、つぎのように話す。
「やがて天皇となられる皇太子のご結婚には、さまざまな国の利害など、大き
な問題が絡むのです。私はお妃選びの過程で、殿下と何回かお会いしました。
じっさいにいろんなことで、殿下は悩んでおられた。多くの候補の名前を殿下
があげられたことはありますが、雅子さまのお名前だけは、ついに一度も聞か
れませんでした。
 殿下が、婚約会見で一生全力でお守りする、とおっしゃったのは、単に宮中
という特殊な環境から雅子さまをお守りするという意味だけではなく、それよ
りもっと巨大なものからお守りするということなのです」
 一九九三年六月九日、彼はご成婚のテレビをみていて、パレードに出発する
ときの皇太子の表情が、気にかかった。
「お車に乗りこまれるときの殿下の眼を見たのです。おもいつめた眼でした。
幼少のころからよく存じ上げていますが、あんなけわしい眼をみたのは、はじ
めてでした」
 そうして彼は、ようやく外務省の存在を指摘するのである。
「なぜ小和田恒さんが国連大使となり、国連安全保障理事会常任理事国入りを
めざした動きを強力に展開されるのか。なぜ、いわゆる皇室外交ということが、
強力に推進されるのか。雅子妃は、小和田恒を筆頭とする外務省という家から
天皇家にとついだ花嫁なんです。小和田氏の行動を、これから国をあげてバッ
クアップしなければならなくなるわけです」
 誇大妄想だといわれればばそれまでだが、外務省のあるキャリアは、ASE
AN諸国歴訪(一九九一年九月)にはじまる天皇の外交活動をさして、はっき
りとこう言うのだ。
「天皇に対しては左右いろんな意見があるが、外国からみれば、日本の象徴で
あり、総理なんかではとても代役はできない位置にある。だから外務省として
は、天皇には戦後処理、太平洋戦争の後始末をしてもらいたいというのが本音
のところだ。世界の大勢は、日本の戦後処理はまだ終わっていないという見方
をしており、安保理事人理事国入りしたい外務省としては、そのまえにこの問
題をクリアしておきたい。
あくまでも"外国交際"で、友好増進のための陛下のご外遊ととらえている」
 天皇家と政治は明確に分離されていなければならない。ここにいたって、に
わかに疑問視されるのは、やはり雅子妃の父、小和田恒の存在である。
 本来ならば、天皇家と縁戚関係で深くつながった時点で、日本外交の中枢を
になう役職からは退くべきであったと私は考える。政治経済の利害がはげしく
絡み合う現実世界から距離を置くというのが、天皇家にたいする配慮というも
のではなかったか。
 けれども、小和田氏の言動には、積極的に外交舞台の中心人物でありつづけ
ようとする野心がみなぎっている。

小和田家の野望4 http://itabasi.exblog.jp/13455019
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by kissyouten2006 | 2010-10-15 02:50 | 日 記
2010年 10月 15日

小和田家の野望4

小和田家の野望3 http://itabasi.exblog.jp/13459542

「国連事務総長に」の声に猛然とやる気を出した

 九月七日午後六時から、東京日比谷の帝国ホテル孔雀の間で、「小和田恒外
交論出版を祝う会」がひらかれ、約五百人の財界関係者が顔をそろえたことは、
彼の野心を雄弁にものがたっていた。政治家では、福田赳夫元首相、宮沢喜一
元首相、柿沢広治前外相、財界からは鈴木永二前日経連会長、速水優経済同友
会代表幹事らが出席した。福田赳夫氏が外相、首相時代に、小和田氏は秘書官
をつとめている。
 マスコミの取材をシャットアウトしたパーティで、挨拶に立った小和田氏は、

「いま国際社会で日本がおかれている状況は、単に人といっしょになって参画
するだけではなく、もっと創造していく必要があるということだ」
 と出版した本のタイトルどおり「参画から創造へ」を強調した。本の帯には
「小和田恒は早くも伝説の外交官になりつつあるかに見える」という文字が躍っ
ていた。
 おどろくべきことに、皇太子妃選び雅子妃にしぼって勧められはじめた一九
九一年九月、イギリス外務省から日本の外務省に「ミスターオワダを国連事務
総長にどうか」という打診があったとき、当時外務事務次官だった小和田恒氏
は猛然とやる気をみせたと外務省担当記者は言う。
「それで外務省内に国連事務総長になる場合に対応するための、四、五人のプ
ロジェクト・チームをつくった」
 けっきょく「小和田事務総長」はまぼろしに終わったが、国会では国連平和
協力法案が廃案を目前にしていた時期であった。日本の国際貢献の方針が、憲
法の精神をめぐって決まらずじまいであった。この微妙な時期に、小和田氏は
国連事務総長ポストにこころを動かされていたということになる。この時、自
分の長女が皇太子妃として有力になりつつあることを、小和田氏はご存じなかっ
たのだろうか。
 ほぼ一年後の一九九二年十月三日、千葉の鴨場で雅子妃は皇太子からプロポー
ズを受け、十二月十二日、東宮仮御所で結婚を了承する。
 天皇家に深くつながることは、あらゆる利害から独立してあるべきだという
ことと、国連事務総長もまた、あらゆる利害から独立してあるべきだというこ
とはどちらも自明の理である。小和田氏がどちらの立場も同時に手に入れよう
としていたら、この矛盾をどう説明するのだろうか。
 小和田氏の立身出世のおもいは、一九九三年八月一妃に外務事務次官を終え
てからもつのっていたようで、外務省関係者は「ご本人は、駐米大使になりた
かったようだ」と話す。
 栗山尚一駐米大使の任期もからみ、また天皇家と縁戚関係になったことから、
日米摩擦などで傷つけてはならないという配慮もあって、国連大使に落ち着い
たのだが、この席でも「国連には情報がない」とこぼしていたという。
 そして、ことし六月八日、ニューヨークの国連本部でひらかれた国連安全保
障理事会改革作業部会の席上、小和田国連大使は、
「日本は常任理事国として、世界の平和と安定のため、なしうるかぎりの責任
を果たしたい」
 と日本政府高官としては、はじめて「常任理事国」という直接的なことばを
使って、日本の常任理事国入りへの意欲を表明した。政界混乱のなかでの国連
本部での発言は、旧連立政権にかわって生まれた、常任理事国入りに慎重な自
社さきがけ連立政権さえも、やがて常任理事国入りに向かって動かすこととなっ
ていった。


天皇皇后をエスコートした「国連大使」夫妻

 明治維新後の東京遷都以降、天皇家は政治の波に翻弄されつづけた。それは
京都御所という民衆にひらかれた代々の居住から、江戸城という武家の城に移
されることによって、比喩的にいえば政治の側に"幽閉"されたとみることがで
きる。
 京都時代の天皇は、ときに六条河原にも足をはこび、人目にふれることはし
ばしばだったが、広大な江戸城に移ってからは、民衆の目にふれることは少な
くなった。こうして民衆から隔離することによって、明治政府は富国強兵政策
のもとに天皇を軍神としても奉り、戦争の時代へと国を導いてく。
 太平洋戦争が終わってみれば、日本の政治にアメリカ合衆国までが加わり、
戦中は現人神としてまつられた昭和天皇は、戦後は人間天皇となり、贖罪の意
識を崩御のきわまで懐きつづけた。全国巡幸の旅や全国植樹祭への参加は、人
々の気持ちを癒すというただひとつの目的のためであった。
 その孫として、昭和天皇から直接、薫陶を受けつづけた皇太子は、一九九〇
年二月二十三日の三十歳の誕生日の記者会見で、右翼による本島等長崎市長の
狙撃事件について質問され、きっぱりとした口調でこたえている。
「言論の自由は、つねに尊重されなければならないものであり、これを暴力に
よって封ずるという行為は、断固としてあってはならないことであると私は考
えます」
 本島市長は「昭和天皇に戦争責任はある」と公の場で語り、狙撃されたのだ。
皇太子はその狙撃事件を、「断固として」という強い表現を使って断罪したの
だった。おそらくそこには、たんにこの事件についてばかりではなく、歴史的
視点に立った広い意味での祈りがこめられていたようにおもう。
 そんな皇太子の姿勢は一九八七年九月の沖縄訪問のときにも如実にしめさ
れた。
 皇太子は、およそ二十万人もの犠牲者をだした沖縄戦で、最後の戦場となっ
た本島南部の「ひめゆりの塔」に足をはこんでいる。塔に祈りを捧げたあと、
人々から当時の女性とらの最期を聞いた皇太子は、ふたたび塔のまえに歩み寄
り、頭を下げたのである。
 新しい政治の波が「普通の国家」というかけ声のもとに押し寄せているいま、
皇太子は石のように動かずにいなければならないのかもしれない。常任理事国
入りについての国民的な議論をなんら喚起することもなく、「まず常任理事国
入りありき」で突き進む政治の力。果たして安保理の採決にたいして拒否権を
行使できるかどうかも、いまの日本のあやふやな姿勢では危ぶまれる。常任理
事国入りのための尖兵として、政治の側から皇室外交を押しつけられたのでは、
天皇家とはいったいなんだということになってしまう。
 けれども、じつはことし六月の天皇訪米で、すでにそれは果たされていた。
天皇皇后は、ニューヨークの国連本部を訪れ、ガリ事務総長夫妻が主催する午
餐会に招かれた。そのとき天皇皇后をエスコートしたのは、国連大使の小和田
夫妻だった。常任理事国入りをアピールするには、絶好のパフォーマンスであった。


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by kissyouten2006 | 2010-10-15 02:02 | 日 記